ねこをなめる
東京でも有数の説明しづらい場所にある、荏原町という品川区の外れで起こる。
私は1年間やめていたタバコを吸い(この表現はあまりに村上ハルヒ的で私は好きではないけど事実なんだからしかたない。)、こどもは私の煙をいやそうに吸う。こどもはペタペタ歩くけど転んでひどく頭を打ち、私は痛む頭を想像するだけでくらくらとする。
夕暮れが終わりゆく道の溜まりで、若い女性たちは皆ねこをなめ、おかしな棒や死神の鎌を持つホームレスがそれを見守る。ねこは退屈そうにそれがねこにとって当然の権利なのか義務的なものなのか、ぼんやりしたまま、ただそうして、ある。
ねこをなめる。
ねこをなめる女の話は聞いたことがあったし、きっとずっと傍観者でやりすごせたはずなのに、今日、私は取りつかれたように夢中でねこをなめる。なめつづける。
今後あらゆる可能性が私に開けているとしても、晴耕雨読か蛍の光窓の雪、ただそこから静かに過ぎてゆく毎日をすごしたいとしても、ねこをなめてしまった私にそれはもう叶わないのかもしれない。今日を境に。
今日まで別の世界だった、甘い味のするねこの皮と私の舌を分かつ境界はなんだったんだろうか。私がねこをなめてまで求めていたものは、いったいなんだったんだろうか。