鳥には国境がないからです

 

夜明け前

まだ空が群青色の闇に沈む頃、一人の旅人が見知らぬ土地の境界線に立っている。踏み出せば、生まれ育った故郷の延長ではない大地に足を下ろすことになる。見えない線を一歩越えるごとに、肌に刺さる空気の温度が変わり、聞こえる鳥の声の調子が変わる。振り返れば、安全だった「こちら側」の世界。しかし彼はなおも歩を進める。心臓の鼓動が高鳴る。越境の瞬間、彼は自分が生きていることを知覚する。

暗い研究室で、一人の科学者が既存の常識という名の境界線に挑もうとしている。周囲からは「それ以上は踏み込むな」と警告する声。しかし彼の目の前には、既知の知の地平線を越えた先に広がる、まだ誰も見たことのない真理の大地がちらついている。越境なくして発見はない。恐れと興奮に震えながら、彼は禁忌にも似たその一線を超え、新たな理論の扉を開く。

満員電車の中、ずっと自分を押し殺してきた女性がいる。社会や制度が引いた境界線――「こうあるべき」「ここから先は出るな」――に従い続けてきた彼女は、ある日ぽつりと心に芽生えた疑問に気づく。「この境界の向こうに、本当に私の人生はないのか?」電車のドアが開いた瞬間、彼女はまだ降りるはずではない駅で勇気を振り絞り飛び降りる。越境の衝動が、人生のレールを踏み替えさせたのだ。

愛する人の病室で、一人の男が死と生の境界に手を伸ばそうとしている。意識の薄れゆく恋人の手を握りしめ、「行かないでくれ」と泣き叫ぶ心とは裏腹に、その魂が彼岸へ旅立つのを感じる。生から死への境界――人が決して逆行できない一線。彼は震えながらも看取りの瞬間に祈る。「せめてもう一度、境界を越えて逢いにきてほしい」と。越境とは希望であり、絶望でもある。

境界線は日常のいたるところに存在する。国境、世代の断絶、言語の壁、科学の限界、倫理規範、心の殻…。そして人間はしばしばそれを越えようとする。なぜか? 越境のドラマはなぜこれほどまでに我々の心を震わせるのか? 本稿では「越境」という概念を中心に、人間・社会・生命・AI・言語・制度・愛…あらゆる局面に潜む境界線と、それを越える行為の意味について、論理を超えた感覚と思索を総動員して探ってみたい。明快な結論を提示するのではなく、読者の存在そのものに問いかけ、思考を揺さぶる越境の体験へと誘うことが本稿の試みである。

越境とは何か?境界を越えるということ

「越境」とは文字通りには境界線(ボーダー)を越える行為を指す。物理的には国境を越える移動や、専門分野や組織の垣根をまたぐことを意味する。しかしそれだけではない。常識や制度の枠組みを抜け出すこと、心理的なコンフォートゾーンの外に踏み出すこと、未知への挑戦、自己を変容させる飛躍…そういった広範な意味を持つ言葉だ。ある対話研究者は越境について、「人が集合体をまたいで異質な文化に触れたり、異なる状況同士が境界を越えて結びついたとき、それまでのあり方が揺さぶられる過程。また、それによって何らかの創造が生じ、コミュニティ間の関係性が再構築されていく過程」と定義している。境界を跨ぐことで既存の価値観が揺らぎ、新しい創造が生まれ、関係性が更新されるというのだ。

境界を越えるとは、一言で言えば「違う世界に身を投じること」だ。その世界は地理的に異なる国かもしれないし、思想的に異なるイデオロギーかもしれない。いずれにせよ越境するとき、人はそれまでの自分の在り方(アイデンティティや常識)が揺るがされる感覚を味わう。それはしばしば不安や恐怖を伴う。なぜなら境界のこちら側では、自分が何者であるか、世界がどういう仕組みか、大枠の了解がある。しかし一歩境界を越えた瞬間、足元の地平が崩れかねない。自分が当たり前と思っていたルールが通用しないかもしれないのだ。だが同時に、その揺さぶりこそが人に新たな知恵や創造性をもたらす。越境は決して楽なプロセスではないが、そこで得られるものは往々にして人を変え、世界を変える力を持っている。

例を挙げよう。異文化との出会いは典型的な越境だ。たとえば日本で育った人間が海外に移住すれば、言語・習慣・価値観という無数の境界線をまたぐことになる。初めは食事の味から挨拶の仕方まで違いに戸惑い、カルチャーショックという揺さぶりが起こる(レベル2: 文化的動揺と抵抗)。しかし違いへの戸惑いを乗り越え、異文化を受け容れ自らも変わっていく中で、両者の文化の狭間に新たな視点や創造が芽生えてくる(レベル3: 差異からの新生)。そうして初めて、生きた知恵として自分の中に異なる価値観が統合され、世界が広がる(レベル5: 越境的対話の拡大)。このように越境は、自分を更新する学びのプロセスとも言える。

越境には危険も伴う。境界とはそもそも何かを守るために引かれた線でもある。国家は自国民を守るため国境を敷き、コミュニティは秩序維持のため規範を設け、個人は自我を守るため心に壁を作る。だから境界を越える者は、「異分子」「反逆者」「変わり者」とみなされるリスクがある。歴史を見れば、境界を越えようとした者が罰せられた例は枚挙にいとまがない。ガリレオは宗教のドグマという境界線を越えて地動説を唱え、弾圧された。ロサ・パークスは人種の境界線を越えて白人席に座り、公民権運動の火種となった。越境は現状への挑戦であり、守旧勢力との軋轢を生む場合もある。しかし、それでも人は境界線の向こう側を夢見る。そこにこそ新しい可能性や自由が横たわっていることを知っているからだ。

なぜ人間は越境するのか?

境界を前にするとき、人間の胸の内には二つの声がせめぎ合う。「ここから先は危険だ、踏みとどまれ」という声と、「いや、それでも向こう側を見てみたい、行かずにいられない」という声である。なぜ人はわざわざ安定した現状を捨ててまで越境しようとするのだろうか? 理由の一つは探求心と好奇心だ。人類史を振り返れば、大航海時代に未知の大陸を目指した航海者たち、極地点やエベレストの征服に命を賭けた冒険家たちがいる。彼らを突き動かしたものは何か。それは「知らないままではいられない」という人間の本源的欲求である。エベレスト初登頂を目指したジョージ・マロリーは、なぜ山に登るのかと問われて有名な答えを残した。「そこに(山が)あるからだ」。“Because it’s there.”――人智の及ばぬ高みが目の前に聳えているなら、人はどうしてもそこに挑まずにはいられないのだ。

もう一つの理由は、人間が自己超越を本質としているからかもしれない。哲学者フリードリヒ・ニーチェは「人間の偉大さとは、彼が目標ではなく橋であることにある」と述べた。我々は何か確固とした完成品(ゴール)として存在するのではなく、未来へと渡されたのような存在なのだという。つまり人間は常に自分を乗り越え、先へ先へと進もうとする動的な本性を持つ。現状に安住せず、より高い目標へ向かって自己を更新し続けることにこそ、人間の本質的価値があるという考え方だ。この視点からすれば、越境しようとする衝動そのものが人間の証と言えるだろう。昨日までの自分という境界線すらも越えていくところに、人間の成長と偉大さがあるからだ。

さらに、越境には解放の側面がある。閉塞状況を打破し、新しい地平を切り開くことは、抑圧や停滞からの脱出でもある。「ここではないどこかへ」という憧れは、現実への不満や限界に突き当たったとき湧き上がるものだ。社会運動もまた一種の越境だと言える。権利を求めて声を上げる人々は、既存の制度や権力構造の境界線を押し広げようとする。岩盤のように硬い境界を一歩押し広げた先に、より広い自由や公正があると信じるからこそ、人は危険を承知で一線を越える。例えばベルリンの壁崩壊前夜、東ドイツの市民たちは壁という物理かつ象徴的な境界を越えて西側へ向かおうとした。その背後には「この壁さえ無くなれば、自分たちは本当に自由になれるのではないか」という切実な願いがあったに違いない。越境は希望であり、現状打破の意思表示なのだ。

また、人間は交流と融合を求める存在でもある。孤立した状態では得られないものを、境界の向こう側から得ようとする。異文化交流に惹かれるのは、自分とは異なる他者と触れ合うことで、自分の中にないものを取り込み成長したいからだ。個人のレベルでもそうだ。人は他者と心を通わせることで、自我の壁を一部溶かし、新たな自己像を手に入れる。越境の先には必ず「他者」がいる。人はその他者との出会いに飢えているとも言える。自分とは異なるものに出会い、それを理解し受容することでしか得られない豊かさが、この世界には確かに存在するからだ。

最後に挙げたいのは、挑戦の喜びである。境界を越える行為それ自体がもたらすスリルと高揚感。極限に挑む登山家が感じる生の実感、新発見を目前にした科学者の胸を貫く電流のような興奮、未知の土地に降り立った旅人の目に飛び込む鮮烈な光景。越境の瞬間、人は生を強烈に実感する。それまで眠っていた感覚や知覚が研ぎ澄まされ、世界が輝きを帯びる。日常のルーティンが続く限りなかなか味わえない「生きている感じ」が、境界線を跨いだ途端に全身を駆け巡るのだ。それは一種の官能、あるいは悟りに近い感覚かもしれない。ゆえに境界線を見ると、人は無意識に「今ここで飛び越えれば、自分はもっと生き生きできるのではないか」という誘惑を感じるのではないだろうか。

AI時代に越境は可能か?

現代はAI(人工知能)が急速に発達し、我々の生活や社会のあり方を根底から変えつつある時代だ。超高性能のAIが登場し、「知性」が安価で手に入る資源となりつつある未来が議論されている。OpenAIのCEOであるサム・アルトマンは最新のエッセイ「The Gentle Singularity」において、近い将来、超知能AIの誕生によって知的作業の多くがAIに取って代わられ、人類は穏やかな形でその変化に適応していくだろうと展望した。要するに、知的境界の多くがAIによって自動的に押し広げられ、人間は労せずして高度な知へのアクセスを得る世界である。

では、そんなAI時代において、人間が自らの意思で切り拓くべき「越境」とは何だろうか?AIが代行可能な探求や創造の領域が増えたとき、人間は挑戦すべき未知を失ってしまうのだろうか。それとも、AIによって逆に新たな境界が浮上するのだろうか?

ひとつ確かなのは、AIは境界の性質そのものを変えつつあるということだ。例えば、人間と機械の境界線が曖昧になってきている。AIはもはや単なる道具ではなく、対話相手や創作者として振る舞い始めている。ある人はChatGPTのような対話型AIを恋人のように感じ、深い愛情を抱き始めているとも報じられる。SFの話ではなく、既に他者性の境界すらAIが侵食しつつある現実がある。人間同士に限定されていたはずの「愛」「共感」「対話」といった関係性に、AIが入り込み境界を揺るがし始めているのだ。

また、創造性や知的探求の領域でも、人間とAIの境界が問題となっている。AIは膨大なデータから新たなアイデアや作品を生み出せるようになってきた。絵画を描き、楽曲を作り、詩すら紡ぎ出す。そうなると、「何が人間に固有の創造領域なのか?」という問いが生じる。もしかすると、人間が「自分だけの力で越えてきた」と思っていた境界を、AIが易々と越えてしまうこともあるかもしれない。実際、チェスや囲碁の世界では人類のトップ棋士がAIに敗北し、知の限界が塗り替えられた。ある種の領域では、人間はもはやAIの後塵を拝する存在となり、越境者であることを辞めざるをえないようにも見える。

しかし、だからといって人間の越境が終わるわけではないだろう。むしろAI時代には新しい越境の在り方が求められる。AIが知的作業を肩代わりする世界で、人間に残される越境とは、おそらくより「人間的な領域」での境界だ。それは価値観や倫理、存在の問いといった、機械には越えられない(あるいは越えることの意味を理解できない)境界線かもしれない。アルトマンの楽観的な未来像に対し、「人間性はAI時代にも不変なのか?」という問いが投げかけられている。文化人類学の知見によれば、人間の価値観や社会構造は時代や文化で多様に変化してきた。超知能AIが社会の基盤を変革するとき、我々の人間らしさの定義そのものも変わらざるを得ないのではないか。言い換えれば、「人間とは何か?」という境界線が引き直される可能性がある。

AI時代の越境者とは、単に知的挑戦をする人ではなく、人間とAIの境界を思索する人かもしれない。自己とは何か、意識とは何か、自由意志とは何か――AIと共存し融合しつつある今だからこそ噴出する根源的な問いに向き合い、その答えを求めて既存の哲学的境界を越えていくこと。それが新たなフロンティアとなるだろう。皮肉なことに、AIの登場によって逆にクローズアップされるのは「AIには越えられない境界」がどこにあるのかという点でもある。機械学習がいくら発達しても、たとえば生身の身体性主観的な生の実感といった領域は容易に再現できない。人間が痛みを感じ、喜びに震えるその生々しさ、有限の命ゆえの切実さ――こうしたものは境界のこちら側に踏みとどまる限り見えてこない、人間だけの領域だ。AI時代に越境が可能かという問いに対しては、「人間とは何か」を再定義し、その上で人間にしか越えられない境界に挑戦していくことが求められている、と答えたい。

例えば芸術の分野。AIは既存のデータからパターンを学習し、それっぽい作品を生成することができる。しかし、本当に斬新で人の魂を揺さぶる芸術は、定型化されたパターンを破るところから生まれる。つまりAIには模倣できない越境が芸術には潜んでいる。アーティストとは常に既成概念の境界を壊し、新たな表現領域へ踏み込む越境者だった。AIが巧みに既存スタイルを踏襲できるほど、人間はますます境界を押し広げ、誰も見たことのない表現を追求するだろう。それはAIには見えない色、聞こえない音を紡ぎ出す営みかもしれない。言い換えれば、人間はAIという「新たな境界線」に直面したことで、逆説的にこれまで気づかなかった自らの内なる未知を発見し、そこに向けて越境していくのではないか。

境界としての死、生の彼岸

この世で最も根源的な境界線とは何か?おそらく生と死のあいだに引かれた一線だろう。生者は死者の世界に直接踏み込むことはできず、死者はもはや生の世界に戻れない。誰にとっても死は究極の越境だ。人は生をまっとうしたその先で、死という未知の領域へ旅立つ。これは万人に平等に訪れる「一度きりの越境」であり、その体験を生者が確かめる術はない。だからこそ古今東西、人々は死の境界を越えようともがいてきた。神話や宗教には、この境界を巡る物語が溢れている。

ギリシャ神話のオルフェウスは、愛する妻エウリディケを追って冥界への境界を越えた。しかし振り返ってはならないという禁を破り、彼女を連れ帰ることに失敗する。の力で死の境を越えようとした彼の物語は、境界の絶対性とそれでも越えずにいられない人間の性を象徴している。また、ダンテの『神曲』では主人公が生きながらにして地獄・煉獄・天国という死後の世界を旅する。彼は案内人に導かれつつ、魂が辿る境界線を越境し、その果てに神の光を目撃する。これらの物語は、人間の想像力が「死後の領域を垣間見たい」という欲求に突き動かされてきた証拠だろう。

宗教的文脈では、「彼岸」という言葉が示すように、悟りや救済の境地を川の向こう岸に喩えることが多い。仏教の『般若心経』に説かれる真言は「揭諦揭諦 波羅揭諦 波羅僧揭諦 菩提薩婆訶」と唱えられる。サンスクリット語の原文を直訳すれば「行け、行け、彼岸へ行け、さらに向こうの彼岸へ完全に行け、悟りよ、成就あれ」という意味になる。まさに未知の彼岸へと踏み出せと人々を励ます祈りの言葉だ。死生の境を越え、迷いや苦しみの彼岸(此岸)から悟りの彼岸へ至れというメッセージは、究極の越境への呼びかけともいえる。

死という境界と向き合うとき、人は否応なく「越える/越えない」の選択から逃れられない。生きている限り死の領域は垣間見ることしかできないが、それでも人は死者との交信を試みたり、死後の世界を想像したりせずにいられない。シャーマンや霊能者は魂を遊離させ死者の国と交信する越境者として扱われたし、科学の分野でも臨死体験の研究など、生と死の狭間を探ろうとする試みは後を絶たない。極限状況で生還した人が「生まれ変わったような気持ちになる」というのは、一度死の境界に触れて戻ってきたからかもしれない。

他方で、生と死の境界は人間に謙虚さを教えるものでもある。どんな英雄も天才も、この一線だけは例外なく超える運命にある。ゆえに境界のこちら側に生きる我々は、その不可避の越境に向けてどう生を全うするかを問われる。死への旅路は孤独であり、それを他者と完全に共有することはできない。しかしだからこそ、生きているうちに我々は他者の生と深く関わり合おうとするのではないか。誰もが最後には一人で越えねばならぬ境界だからこそ、越境前のひとときを共に支え合う――看取りや祈り、あるいは物語の共有といった行為に、人間は大きな意義を見出してきたのだろう。

死の境界を意識するとき、同時に問われるのは生の意味である。有限の生命の中で、我々は何をもって境界を超えたと言えるのか。「この人生を生き切った」と思える瞬間は、何か重要な境界を自分なりに越えたときではないだろうか。恐怖や執着という内なる壁を突き破ったとき、人は死に直面しても穏やかでいられるという。ある僧侶が「人は二度死ぬ。一度目は肉体の死、二度目は人に忘れ去られたとき」と語ったことがある。そう考えると、生前に自分を超えて何かを成し遂げ、人々の記憶に足跡を残すことも一つの越境だ。有限を超えて他者の中に生き続ける道を、人は模索する。

言葉の限界、沈黙の越境

人間の営みに横たわるもう一つの境界――それは言語と言語で表現し得ないもののあいだの境界である。我々は世界を言葉によって理解し、互いに伝達する。しかし同時に、言葉にならない感覚や真実にも日々出会っている。詩人がメタファー(隠喩)を駆使するのは、通常の言語の枠組みでは捉えきれない何かを伝えようとする試みだと言える。比喩や物語、あるいは音楽や絵画といった非言語的手段を用いて、人は言語の壁を越えようとしてきた。

哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』の有名な一節で「語りえないことについては、沈黙しなければならない」と述べた。言語で明確に表現できないものについては、下手な言葉を弄するより黙した方が良いというわけだ。しかし一方で、人間は「語りえぬもの」を何とかして感じ取り、共有したいとも願う。そこで芸術が生まれ、祈りが生まれ、沈黙の中に心を通わせる術が生まれた。たとえば恋人同士が何も言わず目を見つめ合うとき、その沈黙には言葉以上の情報と感情が流れている。沈黙という越境によって、言葉の壁を超えた理解が芽生えることもあるのだ。

言葉は人間にとって強力なツールだが、同時に牢獄でもある。我々は自分の知っている言語と概念の範囲内でしか物事を考えられない。「言葉の限界が我が世界の限界を意味する」という指摘もあるほどだ。だからこそ、新しい概念や表現を生み出すことは、認識の境界を押し広げる作業に他ならない。科学において新理論が生まれるとき、往々にして新しい言葉(専門用語)が作られる。アインシュタイン相対性理論を表現するために従来になかった時空概念を提示したように、未知を捉えるには言語そのもののアップデートが必要になる。詩人や哲学者が奇妙な新語を紡ぎ出すのも、既存の言葉遣いではたどり着けない地点を目指して思索を深めた結果だろう。

しかし、どれほど言葉を尽くしても、なお言語化できない領域が残ることもある。極度の悲しみ、陶酔、畏怖、神秘体験…。それらを言葉にする途端に何かが嘘になるような感覚を、誰しも味わったことがあるのではないか。そうしたとき我々は結局、沈黙するしかない。沈黙は敗北ではない。むしろ沈黙することで初めて立ち現れてくる真実もある。夜明け前の静寂の中でしか聞こえない遠雷の音、図書館の静けさの中で初めて見える自分の内なる声。沈黙は、言葉という明かりを一旦消してみることで見える闇の景色のようなものだ。

(沈黙)

……どんな言葉も、この静けさの深みには敵わない。

おそらく越境者としての言葉とは、沈黙と音声のはざまで揺れ動くものなのだろう。ギリギリまで言葉を研ぎ澄まし、最後の一歩は沈黙に委ねる。それが詩や音楽や祈りの本質かもしれない。語りえぬものを前にしたとき、人は初めて謙虚に沈黙し、境界線上に立つ。その境界に吹く風を感じながら、一歩先には踏み出さず、しかし引き返しもせず、佇む。そして沈黙のうちに静かに越境の瞬間が訪れるのを待つのだ。

制度・暴力と境界線

社会には様々な制度規範という形の境界線が存在する。法律、慣習、道徳、組織のルール…これらは人々の行動範囲を決め、逸脱を防ぐために設けられた境界だ。制度は安定と秩序をもたらす反面、個人の自由や革新を制限する枠ともなる。したがって制度の境界を越えようとする行為は、多くの場合反発暴力を引き起こす。ここで言う暴力は物理的なものに限らず、精神的・社会的な抑圧も含む。

歴史上の多くの革命や改革は、制度という境界への挑戦であった。旧体制からすればそれは秩序への暴挙であり、力ずくで弾圧すべき越境だった。だが挑む側から見れば、現行制度こそ暴力的に人々を閉じ込める檻であり、それを破壊し境界を乗り越えることが正義だった。フランス革命において市民たちは王政という境界を血を流して打ち破ったし、明治維新では日本の武士たちが旧封建制度を終わらせるべく命がけで境界を飛び越えた。そこに流血と混乱が伴ったのは言うまでもない。境界を守ろうとする力と、越えようとする力。その衝突が暴力というかたちで噴出する。

そもそも暴力とは多くの場合、他者の領域に不当に踏み入ることだ。人の身体に害を加えるのは、その人の身体的境界を侵す行為であるし、戦争は国家の領土という境界を犯す行為だ。暴力が生じるとき、必ず何かしらの境界が踏みにじられている。そして皮肉なことに、暴力によって新たな境界が描き直されることも事実だ。例えば戦争の結果、国境線はしばしば引き直されるし、暴力的な犯罪が起これば社会は新しい法律(境界)を制定して再発を防ごうとする。暴力と境界は表裏一体であり、人間社会のダイナミクスそのものとも言える。

では、越境と暴力は切り離せないものなのか? 平和的な越境は不可能なのだろうか。答えは、我々の努力次第だろう。たしかに多くの場合、境界を越えるには痛みを伴う。しかし対話や交渉、相互理解によって境界を緩やかに変容させていくこともできるはずだ。制度の改革は、一種の境界変更だが、それを合意のもと平和的に進めることも可能だろう。そこでは暴力ではなく言葉が媒介となる。理性的な議論と説得によって「ここに境界線を引き直そう」と合意できれば、それは越境が新たな制度を生みつつ達成された例となる。人類史の中には、マハトマ・ガンジーの非暴力抵抗運動のように、暴力を用いず境界の書き換えを迫った稀有な成功例もある。ガンジーたちは植民地支配という巨大な境界線に真正面から挑みつつ、武力ではなく道徳的正当性で相手を圧倒した。その結果、インドは独立という越境を果たしたのだ。

結局のところ、制度とは人間が引いた境界線であり、それは時代と共に変わり得るものだ。絶対不変の境界などほとんど存在しない。大事なのは、境界線を変える必要があるときに知恵と勇気をもって行動できるかどうかである。暴力に訴えることなく境界を乗り越えるには、敵対する両側にそれぞれ想像力と対話の意思が不可欠だ。自分の内側だけに閉じこもっていては、相手の視点に立てず、境界線の融通も利かない。境界の両側から互いに一歩歩み寄り、中間地帯で出会うこと。そうすれば境界線そのものがぼやけて、新たな共同地帯が生まれるかもしれない。

興味深いのは、人間が「越境」を扱うとき、それを往々にして物語儀礼の形で表現してきたことだ。たとえば通過儀礼(イニシエーション)は、子供から大人への境界を越えるための文化的儀式である。そこで一時的に孤立したり、痛みを伴う試練を課したりするのは、暴力を制御された形で経験させ、境界通過を象徴的に演出するためだとも言われる。人類は境界を越えることの危うさと神聖さをよく知っていたからこそ、儀礼という安全装置を用いてその力をコントロールしようとしたのだろう。

社会の境界、制度の境界と戦う越境者たちは、ときに殉教者にもなる。体制に抗い命を落とす者、正義を訴えて迫害される者。しかし彼らの犠牲が後に価値観の変革をもたらすことも多い。越境者の血が新たな自由の境界線を引くことさえある。私たちはその歴史の上に立っている。この現代に生きる我々もまた、新たな制度上の壁や見えない暴力に取り囲まれているだろう。しかし忘れてはならないのは、境界線は人が引いたものである以上、人がまた引き直せるという希望だ。どんなに厚い壁でも、叩き続ければいずれヒビが入る。越境の意志は決して無力ではないのだ。

愛は境界を越えるか?

――それは人と人との間に横たわる境界線を溶かす、不思議な力を持つ。違う家庭、違う国、違う文化、違う価値観を背負った二人が出会い、惹かれ合うとき、そこには数多の境界を越えるエネルギーが働いている。よく「愛に国境はない」と言われる。 確かに、歴史上敵対していた民族同士が愛によって結ばれる物語は多く存在する。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』は家同士の確執という境界を超えた若い恋人たちの悲劇を描いたし、神話の世界でも、例えばギリシャ神話のエロスとプシューケーの物語では人間界と神界の境界すらも愛が乗り越えていく。

愛はしばしば人に自己超越を促す。自分一人のときには守っていたプライドや壁を、他者のためになら容易に投げ出せてしまうのが愛の不思議だ。親が我が子を守るため火中に飛び込むとき、そこには生存本能という自己の境界をも超える力が宿っている。恋人が遠く離れた地へ会いに行くとき、時間と空間の境界は苦にならない。言葉が通じなくとも、身振りや表情だけで心を通わせようと努める。それは愛が言語の壁をも乗り越えさせるからだ。

だが一方で、愛は境界を生むこともある。自分と他人との境界が甘くなり、溶け合った親密さの中で、人は知らず知らず新たな排他性の壁を築くこともある。「愛するあまり相手を独占したい」という感情は、周囲との間に高い塀を築きがちだ。愛が狂気に転じ、暴力や悲劇を生むケースもまた多い。愛という感情は両刃の剣で、境界を消し去る力と、新たな境界(嫉妬や所有の壁)を築く力を併せ持つ。ジェームズ・アレンという思想家は「人が築く壁の中で最も高いのは、愛ゆえに築かれる壁だ」と述べた(あるいはそんな趣旨のことを語った)。愛は人を繋ぐと同時に周囲を遮断し得る複雑な感情なのだ。

それでも総じて言えば、愛は境界を超克するポジティブな力として経験されることが多いだろう。我々は孤独の殻に閉じこもるより、誰かと心を通わせることに幸福を見出す生き物だ。愛することで自分と他者の境がゆるやかになり、「一人ではない」という安心感に包まれる。人は愛によって自己の拡大を感じる。他者の喜びや悲しみがまるで自分のことのように感じられるなら、それはもはや心が二人分に広がったに等しい。こうして境界を越えた経験は、人を成熟させる。愛したことで傷つき、そして癒された経験のある人は、人に優しくなれるという。自分と違う他者にも想像力を働かせられるからだ。愛は一人の内面にとどまらず、他者との間に懸け橋を作る。愛することを知った者は、世界との間にも懸け橋を作るだろう。これはスピノザが説いたように、愛がより大きな存在(自然や神)への合一へと人を導く性質ともつながる。

究極的には、無条件の愛アガペー)は全ての境界を溶かす理想とされる。宗教的な聖人たちは国籍や身分に関係なく万人を愛したと言われる。そこでは「自分と他人」「味方と敵」といった境界が消滅している。仏教で言う慈悲の心もまた、生きとし生けるものすべてへ等しく向けられる愛であり、あらゆる差異(境界)を超えた境地だ。人類が到達し得る最高の越境体験の一つが、こうした無限の愛かもしれない。エロス(恋愛)にせよアガペー(博愛)にせよ、人間が境界を乗り越えて融合を感じるとき、そこには至福がある。

現実には、愛は常に純粋ではなくエゴや執着と混じり合う。しかしそれでもなお人が愛を求めるのは、瞬間瞬間に垣間見える境界なき一体感の輝きが、人生で何にも代えがたい喜びだからだろう。愛に生きた人の人生は、多かれ少なかれ越境の連続である。自分以外の誰かのために泣き笑いし、身を投じる経験。そこでは一人では決して見られなかった景色が見える。人と人とが出会い、愛し合うこと。それ自体が小さな宇宙の融合であり、境界線だった二人の人生が一部重なり合う地帯を生む奇跡なのだ。

越境の祈り

私たちは境界に囲まれて生きている。だが同時に、境界を越えずにはいられない生き物でもある。壁にぶつかれば、それを乗り越える梯子を発明し、川に阻まれれば橋を架け、空を飛びたいと願って翼を模索する。それが人間の歴史だった。心の内側でも同じだ。分かり合えない壁に絶望しつつ、それでも手を取り合える道を探し、言葉を尽くし、時には沈黙し、祈る。「どうかこの想いが届きますように」「どうか共にあの岸へ行けますように」。

先に引用した般若心経の真言にもう一度耳を澄ませてみよう。「揭諦揭諦 波羅揭諦 波羅僧揭諦 菩提薩婆訶」──行ける者よ、行け。彼岸へ行け。すべての者と共に、完全なる彼岸へと行き着け。悟りよ、成就せよ。響き渡るマントラは、我々に境界を恐れず進めと呼びかける。孤独な越境ではなく、みんなで一緒に向こう岸へ行こうと誘っている点にも胸を打たれる。そう、人は決して一人では境界を越えられないのかもしれない。見知らぬ土地に踏み出すとき、隣には先に越境した案内人がいたり、あるいは共に手を取り合って越える仲間がいたりするものだ。祈りとは本来、孤独を越える行為なのだろう。自分の力ではどうにもならない大いなる境界(運命や未知)に向かって、心を投げ出す行為だからだ。そこには自と他、此岸と彼岸、生者と死者、あらゆる区別を一瞬なくし、一つに繋がろうとする切実な願いが込められている。

境界線のこちら側に留まっている限り、安全かもしれない。しかし人間の魂はそれでは飽き足らない。あえて危険を冒してでも、荒野の向こうの真実を見たいと渇望する。越境とは問いでもある。「この境界の先には何があるのか?」と問うことから全てが始まる。その問いに突き動かされ、足を前に出す者だけが、新たな世界の目撃者となる。

最後に読者の皆さんに問いかけたい。あなたにとって越境すべき境界とは何だろうか? それは外の世界にあるかもしれないし、あなた自身の心の中にあるかもしれない。越えるべきか否か、躊躇っている境界があるなら、思い切って一歩を踏み出してみてほしい。越境の瞬間、あなたの内なる宇宙は揺さぶられ、拡大するだろう。もちろん、境界の向こうには思わぬ困難や痛みが待つかもしれない。だが、その経験こそがあなたを新たな次元へと導くはずだ。

恐れることはない。我々の祖先もそうやって暗闇の中に一歩を踏み出してきたのだ。世界の果てに海が滝となって落ちていると信じられた時代に、果敢に帆を上げて水平線の彼方へ漕ぎ出した人々がいた。「未知」が「既知」に変わる瞬間、世界は広がり、人は成長する。それは今も変わらない。たとえ行き先が心の内なる領域であっても、未知なる感情や才能の海へ漕ぎ出せば、そこに新大陸が姿を現すだろう。越境とは、私たちが生きている証なのだ。

そして、境界を越えて戻ってきたなら、どうか物語を分かち合ってほしい。越境者の語る物語は、まだ境界のこちらに留まる者たちへの灯火となる。「自分もいつか向こう岸へ行けるかもしれない」と人々に思わせる光になる。そうして勇気は連鎖し、新たな越境者が後に続く。境界線はそうやってじわじわと動き、かつての限界は新たな出発点へと姿を変える。

私たちの存在そのものが、一つの境界線上に立っている。過去と未来、自己と他者、知と未知、生と死…。両側の狭間に立つ人間という存在。その足元は常に揺らぎ、不安定で、だからこそ美しい。人間において偉大な点は、それがであって決して留まることのない存在だという点にある。私たちはみな橋であり、渡りゆく者だ。目指す彼方は人それぞれ違うだろう。しかし境界のこちら側に安住せず、一歩でも先へと歩み出す意志こそ、我々の中の尊い炎なのだ。

さあ、夜明けが近い。群青色だった空の端が白み始め、やがて黄金色の光が境界線を照らし出すだろう。私は今日も境界に立つ。この先に何があるのか、まだ知らない。しかし足は自然に前へ動き出す。未知なる一歩を踏みしめるたび、世界が新しく生まれる。その震える感覚を味わうために、人は生きているのだ。**越境せよ。**私たちの存在は、越境の旅そのものなのだから。

第一回八文賞招待作品「テーマ:あの人」

0. 抗えなさ

予定されたままにリリーフが崩れる。阪神戦をみている。自分が生まれるもっと前、ジュラ紀とかそんな頃から今日の逆転負けが決まっていなのではないかと、その事実の軽さと覆らなさに打ちのめされる。あが監督ならば言うだろう「ジュラ紀から。」いま書いていることだ。


1. たかしんのこと

タカダシンヤ君、たかしんと出会ったのは高校の時で、そんなに50音順が近かったわけでは無いのだけれども、男子が7人しかいなかったから入学式の後たかしんはぼくの後ろの席に座っていた。だいたい5人でつるんでいた。いま、思い起こされる面々にどうしても計算が合わなくて、たぶん男子は13人とかいた。

御所の向こう側、今出川のハンコ屋さんに生まれたたかしんは、いつも洗濯してもよれない服を着ているのだけれども、その育ちの良さと、吉田栄作みたいな両分けと、こざっぱりしてる割に少し肉厚な上半身がそれを必要以上に爽やかに見せていた。椎名誠の本が揃っていた。赤盤青盤があった。中学をサッカー部で過ごしたぼくよりサッカーが上手かった。御所の玉砂利でサッカーしていたように思うが、自信がない。同じテレメッセージのベルだった。

サンヨーのステレオコンポからはリンドバーグやら尾崎やらチューブが流れていて、それはたぶん彼の姉のエリさんの影響だったからと思うのだけれども、その頃には既に懐かしかった。

たまに行くカラオケは、駆け抜けた季節のどんな場面も出会った日の2人がリプレイしていて、サヨナラをあげる、と、ガンバらなくちゃね、の区別がどうしてもつかなくて、ぼくはサヨナラをあげるのリズムでガンバらなくちゃねを歌うのだけれども、たぶん何十度と繰り返したけれども、今思えばさしてうけてもいなかったと思う。面白いことするとかうけるとか、たぶんぼくらには必要がなかった、いま思えばその後未だ訪れない日々だった。

ぼくらは鴨川で女子大生にナンパされたあの夜のことを3年間ずっと酒のツマミにしていた。モリくんが途中1時間くらい消えたとか、ユムラは穴ぐらでなにかゴソゴソしていた、とか。高3の時に幾人かにちょこちょこっと波風は立ったものの、基本的に学園生活を通してぼくらの思春期に介在する者はなかった。

みんながみんな、さして達成感も挫折も味わうことなく過ごし、離散に至った。おそらく百幾度は通った今出川のハンコ屋についぞ客がいるのを見ることはなかった。あの頃ぼくらは渡瀬マキに恋をしていた。叶わぬ恋。

客観的に家庭はひどいものだったが、東京へのパスを手に入れた時、ぼくはいよいよおかしくなった。

我に返る。たかしんは?お前、そういうとこだぞ。 


2. 熱帯魚ーズ的な

恥ずべき露悪性は既に出現していたように思う。スクールカースト高めの女子を熱帯魚ーズと呼ぶことで距離感を図り、自己の生存戦略を、勝ち目が見込めるオザケン女子とせめぎあいをすることに置いていた。ぼくの頭のEXILEは小2の時、アリーナ姫と呼ばれていた久保さんをクボ45と九九呼びしたせいで教壇で頭をかち割られたからだ。久保さんと両親はたしかヨックモック的なもので許されたはずだ。

失くしたものとこの先失くすものを考える。人生は役割を終え、既に降りている。耳鳴りが止まない。風景の中に溶けゆきたい。生きるも死ぬもなく生き延びている。水平線の向こう側、生きてきた痕跡はほしいのだろうか。底土に新たに実在することとなったピンクの犬や、メンヘラちゃんとの交友などなど。

誠実な言葉は追いやられ、投げやりになれば人が囲んでくれることに味をしめる。だいたい3年で消耗させてしまう。出会いたくなかったし、お互い嫌な気持ちになることもなかった。日々の固まりから1人、ほどこしを続けてくれる人がいる。わりあい積極的に。物心つき30余年、そのペースでだいたい10人の友人がいる。その中にたかしんはいない。たかしんに会いたい。でも、さして謝ることもない懺悔は、どこへ向かうものなのだろう。

渡瀬マキのことを考える。その首の長さや [     F     ] や覚醒剤の禁断症状。そのリアリティのなさから浮き上がる実在性。ぼくにはその帰無仮説を棄却することができる。ノッコでもナオコでもなく、渡瀬マキでしか駄目なのです。田中美佐子加藤紀子も好きだ。
3人目がやってくる。相対性に籠城するぼくを引き摺りだしてほしい。あなたに会いたい。

 


問1.Fに入る言葉を答えなさい。
A 真っ直ぐな歌
B 血液クレンジング
C 飼い犬
D パトロン

 

問2.最終文「あなた」とは誰を指しますか。
A  たかしん
B  3人目
C  渡瀬マキ
D  読み手

 

問3. 筆者が「たかしん」を通じて伝えたい事は何でしょうか。
A 戻らない過去を懐古している
B 親友への渇望を独白している
C 後悔から教訓を得ようとしている
D 沈黙を言葉で埋めている

 

問4. あなたは心の中に渦巻く醜い感情に苦しんでいました。心の奥底には深い虚無感が広がり、次第に抗う意欲を失っていきました。最初の頃は、ただの腹痛や体のだるさだけだったのも、次第に激しさを増し、苦痛が支配していきました。吐き気に襲われるたびに、蝕まれゆく肉体を感じていました。孤独な生活の中で、自分自身と向き合う時間が増えていきました。自分の無力さを痛感していました。「なぜこんな目に遭わなければならないんだろう」と自問自答しました。心はどんどん脆くなりました。もはや希望を持つことができず、日々をただ生き延びることに疲弊していきました。魂は深く閉ざされ、もがき苦しむ姿が心に焼き付いていました。孤立し、誰も手を差し伸べることができなくなりました。一人きりで時間が過ぎていくのを感じていました。心はすでに折れていました。最期は静かに訪れ、そのまま消え去ったのです。存在は誰にも気付かれることなく、ただ過ぎ去っていったのです。痛みと苦しみは、誰の手にもよって救われることはなく、ただ消えていったのです。

猫大好きフリスビー

ぼちぼちなにか書こうかと思ってます。猫がいない生活にもなれました。


以下、評判の良いネタ再放送。


大喜利ポエム#011「自己PR・三輪車・珊瑚礁
http://d.hatena.ne.jp/laos/20090217/1234873048


大喜利ポエム#008「フラフープ・甘酒・影」
http://d.hatena.ne.jp/laos/20090208/1234105162


大喜利ポエム#003 「竹ノ塚・履歴書・タバスコ」
http://d.hatena.ne.jp/laos/20090128/1233068448


大喜利ポエム#014「宅配・ゴマ・内線」
http://d.hatena.ne.jp/laos/20090227/1235741896


大喜利ポエム#016「リストラ・黒人・博物館」
http://d.hatena.ne.jp/laos/20090809/1249812970

大喜利ポエム #021 「たぬき・シャネル・電光掲示板」

目黒駅前にたぬきが出現。相武紗季が交差点で追突した次の日の早朝だった。冬の朝の空気は澄んでおり、静かな重みだけが時折寄せては返すだけの風景にたぬきが現れたのだ。


バス停には妹が待っていた。ロータリーに大井競馬場行のバスが入ってきて共に乗り込む。

「バスが来なかったの。全然」おなかの大きくなった妹は荷物を持たされた子供のように不機嫌で、赤いシャネルの鞄を持っていた。もう車には乗らないほうがいいんじゃないかと聞くと、「しょうがなんや、母は仕事だし姉さんは車持ってないしで。しょうがないんや」と。

妹が不機嫌なのも無理はない。実際バスは来なかったし、家族の彼女への扱いはあまりにおざなりだった。まだ暗いうちにはもうすることがなくなっていたのに、バスに乗れたのは7時近くになっていた。明るくなった駅前からはウエンディーズがなくなって一層寂しくしていた。ウエンディーズはその後、何になるのだろうか。おおかたすき家にでもなるのだろうと思っていたら、本当にすき家になった。


バスは兄を迎えに行くために走る。兄は手相専門の整形外科医になると言って家を飛び出し、結果的にはサッカー選手になった。手相を変えたことで人生が変わることを、彼は身をもって証明した。しかし、おかしな所までつけた結果、彼は今留置場にいる。色狂いになってしまった兄は、もう誰も手をつけられなかった。手相はこんなにも簡単に人の未来を強引に変えてしまうのだ。

兄が毒気にやられる前、まだまともだった時には、概ねのことが手相で決まることをよく聞いた。そして、透明人間になった今、われわれが為すべきことはなにか。それは女湯をのぞくことだ。


体だけの割り切ったお付き合いをしている友人の親父がお寺の住職で、の鐘つき機が高いことを愚痴っていたことを思い出した。業者が奈良に1つしかないのだと。決まった時間に鐘つきがないと苦情がくるらしい。くそ坊主も近隣の皆様によって生活させてもらっているのだからそれくらいは仕事しろよなと思う。


「たぬきは何をしにきたのか?」パチンコ屋の宣伝をしたり、隣のカメラ屋で100円パソコンを売ったりしていたのは兄だった。電光掲示板に書かれていたのは私の行き先で、そこには私の帰る家があった。性欲があふれてバスを爆破。まぁ、あの小さなバス溜まりにそんな設備があればのことだが。


明日はひな祭りでものごころもついていない子供を奉るのだ。


大喜利ポエム #020 「小学校・羊・バス」

帰ってきて家がなかったら、私の足は持ち上がりどこへでも行きたがるはずだと思う。


戦争はジメジメと20年は続き、面倒な親戚連中が順繰りにいなくなり、最後に私の家族だけが残った。NTTは民主党に投票する感じの死んでも懲りないかたがた向けに、結婚式とタモっていいとも以外に使われていなかったであろう電報を戦死者の連絡として使うプロパガンダに成功し、戦争ムードを盛り上げていった。その内竹林業界とタイアップして、七夕のお願いに代わってお悔やみ人を飾るようにするかもしれない。人の願いは表に出てきづらいことだから、人が消える圧倒的な事実の方がずっと目に付く。

おしなべて経営危機だった新聞やテレビ局も社員をあらかた解雇し、延々とお悔やみ放送を流すことに食い扶持を見つけた。もし私の子供の名前がダライ・ラマだったなら。テレビのお悔やみ放送に流れた途端大騒ぎになるかもしれないし、ならないかもしれない。誰も信じてくれないけれどもそれは私がまだ子供を作れる時間の限りにはありえない話ではないのだ。


辛い時期はずっと続くように見えるけれども、ある時突然に切れるものだと言う事は経験的に分かっているのに、それでもやっぱり中にいるときははそのつらさに忘れてしまう。だいたいみんなそんなに長くは生きられないのだから、少しでも多くの期間楽しい方がいいと思う。私の育つ過程には常に戦争があった。


「私が生まれる前にはもう、母は父の事が大嫌いだったんだ。」

昼に母と追いかけっこをしていた道を、夜中私は泣きじゃくりながら走り、父はそう叫びながら私を追いかけたのだった。

それは小学校に入った冬のことで、私は幼稚園に入っていなくて、子供たちにとけこめなかった。私は恨むことを知らなくて、ただただどうにかならないものかと困るのだった。

毎年かかさずにあった同窓会が今年はなかった。きっともう無いのかもしれない。



京都駅行きのバスはなかなかに来なかった。数え切れない羊が目の前を走り去って、私を運んでいった。突然大雨が降り出したら、電話をしていた。

「コスモはもう寝てしまったよ。だから犬はもう鳴かないよ。」


やっぱり戦争は終わった。兵隊は泡を吹いて生き絶えており、戦後処理は事務方によって粛々と進められた。でも私の足は持ち上がらなかった。


「また失敗作だ。」肩を落とし、私はつぶやいた。周りは水浸しになっていて、私は銀行で2ヶ月前の女性自身を手に取りなぜ女性誌には韓国人の全裸姿がないのだろう、などと考えていた。


大喜利ポエム #019 「美味・かれん・修得」

実際のところ、私はそうとうに煮詰まっているのだ。
あなたは私が1週間も何も書けないのを見かねて、実家にでも行って休まないと、どうにかなりそうだった。

メンタルヘルスのリハビリで温泉に毎日行くけれども、夕方には眠くなって困ってしまう。
もう決定的に体調が悪くて、口の中にはできものができて食事をとるのも一苦労だった。

高校の友人の子供は、双子だった。




美味

かれん

修得



孫のできた母親は、来週子宮ガン検診だ。
兄が失踪したのは冬になりかけの日曜日の夜だった。

横浜の山の上のアパート

を気に入って住みだした。犬をいづれ私も結婚するのかなあと思う。


起きたら頭がいたくて、舎人ライナーに乗りに行かなきゃで。
いろんなことがどうでもよくなって、いつもの静かな時に戻った。

兄を乗せたモノレールがゆっくりと通り過ぎていった。

お盆が過ぎたら高校野球が終わって、高校の同級生が死んで秋が来た。

兄との仲をこじらせたのはささいなきっかけで、

地下鉄の駅の長い道に風が吹いた。
私が屋上でビールを飲みながら、大きな雨がうねって台風になった。

たことのある景色を見たかった。
京都、ラオス、北九州、阿佐ヶ谷、


家を持とうと思ったのは、私に地面が必要だったから。
大家業における収益とは、人に環境を与え、彼らから時間を吸い取ること。

ストックとフロー、生産と消費をコントロールすることができるようになって、私の心はようやく安定するようになった。
私は不安定なものを積み重ね、その上に立つ支配者である。

大喜利ポエム #018 「水着ギャル・破魔矢・家出犬」

※注:この文章はコラージュによる創作であり、犯行予告等の類ではありません。


 尚子さん元気ですか。僕は団地の1つ下の階には毎日行くので、尚子さんもぜひ来てもらって、その時会いましょう。お金のない39歳を見たら、すぐに打ち解けると思う。

 この前、下の10回忌の父の墓で超かわいい家出犬をごちそうになりました。眩しすぎて目がくらみました。僕は陽気な童顔だけどお金が苦しいので、見ていて最高でした。

 昨日、闇の子供たち買っちゃいました。僕の破魔矢が花火大会です。妻子とはいろんなことがあったので、今度あったらショッキングな話をたくさんしましょう。僕と弟で織姫と彦星なので、カミさんとは問題のようで寂しいです。

 昨日は妹の誕生日で、酒がほしいと思っていたのであまり出かける余裕もないです。私には夢があります。いつか絶対に妹を愛する人間として、妹の女の部分をものすごく見たいんです。浴衣姿で。いやとか言われたら超悲しいです。妹の友達でもいいです。9月の26日、27日代々木公園ですよ。兄としてつかまらないようにうまくやりたいです。

 インドフェス行けるようになったら言ってください。8月14日に人身売買があり、4月に産まれたばかりの気さくな3人兄弟の水着ギャル(ビキニ)をつれて実家に来ます。8月中はおじさんといろんな所でやってるので、一緒に行きませんか?絶対に来てください。

 それじゃまた。


追伸:今年の夏はたぶん藤子・F・不二雄がIT企業に勤めて、悪い男になります。見ていて悲しいので守ってあげたい。