大喜利ポエム#016「リストラ・黒人・博物館」


私が生まれたときには兄が5歳の愛され盛りで、私にとってのディズニーランドはつい最近までベビーカーの中のものでしかなかった。私は何も買ってもらえなかった代わりに、父の暴力の関心からも逃れた。隠れるように15年を過ごしていたが、高校受験に失敗して行く先がなくなったときにはじめて批判の対象となった。温泉と本当にヒマを持て余した人しかいかない博物館しかない山奥に逃げ出して、穏やかな生活を手に入れた。


ぼくが10歳の誕生日に買ってもらった天体望遠鏡は、父の八つ当たりにより1年たたずして燃えないゴミとして捨てられた。中学の時にワゴンセールの28センチのスニーカーを買ってきて怒鳴られた。外界とのつながりが欲しくて半年分のこづかいで買ったイヤホンラジオは1週間もたたないうちに見つかって破壊された。与えられた想像性は18年の全ての日々で消耗され、残りかすだけになっていた。ぼくはもう、上野の博物館にいっても何の関心も持てないだろう。東京に出たとき家族には一切連絡を取らないようにしていた。率直に言って、ぼくは家庭の面倒事に巻き込まれたくなかった。会社勤めの為引っ越すとき、ぼくはこれまで関係のあった女性や友人、そして家族の写真を全て捨てていた。



父が死ぬ前の日、私は将来夫となる男と、父に見つかったらお前はひどい目にあうだろうと話していた。私は客観的に見て蒸発していたし、蒸発娘をわざわざ差し出した挙句にくださいとお願いしにいくなんて、戦場にペンだけ持っていくようなものだ。父が死んだので私は円滑に結婚したが、夫は自動車整備の仕事をリストラとなり、雇ってくれる所などなかった。私は昔のつてでスナックを紹介してもらい、やがてオーナーに気に入られ隣町に新しく作った店のママとなった。いまにもボケがはじまりそうだった夫を給仕として雇った。何もできない夫だがカラオケだけは上手かったので、店を切り盛りしていく上である程度の役にはたった。


ぼくが東京からかけつけ父が死んでいるのを確認したとき、25歳の誕生日だった。ぼくは父の葬式中、いかがわしい素性の従兄弟の元自衛隊員に胸ぐらを掴まれ恫喝された。ぼくの人生はどこか狂いはじめていた。30歳を越えてすぐリストラにあったとき、ぼくは、ぼくを構成していた尊厳が崩れ落ちるののを感じた。人を馬鹿にすることでしか心の平静を保てないぼくへの当然の報復であった。



私は10代のころ、アダルトビデオに出たことがある。40歳は越えているであろう女と二人で行儀良く服を脱ぎ、行儀良く乱れた。年老いた女がどの因果でそこに流れついたのか分からなかったが、向こうも同じように思っていたのかもしれない。私は相手の黒人に対し、どのような感情を持っていいのか分からなかった。失礼な言い方だが、同じ人間とは思えなかった。向こうも同じように思っていたのかもしれない。その後その映像は「爆乳母娘に黒ぶっといのを3日3晩」というタイトルで発売された。しかし私の撮影は3日はおろか半日にも満たないものだった。長距離バスで帰る前、もらったお金で渋谷で買い物して帰った。


ぼくは六本木で黒人に殺された。結婚式の余興ビデオ撮影の為に、黒人に喧嘩を売ったためだった(よく分からないと思うが話すと長くなる為事情は省略する。)。東急線沿いにあるぼくの家で、ぼくは酔っ払った黒人の腕と壁との間で息絶えた。



私は兄の家でメモ書きをみつけた。彼が従兄弟の元自衛隊員の殺人を依頼していた事を示すものだった。事実彼はは5年前にメスできれいに内臓を取り除かれ死んでいた。ベッドで犬のような臭いを放つ、冷たくなった兄を見ながら、兄はこの秘め事を1人墓まではもっていきたくなかったんだろうと思った。


家族を思いやることは難しい。ましてぼくはもう死んでしまっているのだから。ぼくは父が死んだ時、ずっと飼っていた犬に嚥下障害が起こり連鎖して死んだことを思い出していた。



大喜利ポエム#015「ゴーヤ・10号線・綿抜き」

A子が最後に男と寝たのは半年前で、35歳節目の乳がん検診がある前日。


てきとうに見繕った社内の25の男をひっかけて久我山の家に連れ込んだ。
渋谷の沖縄料理屋で1500円も出してありがたがって豚の脂身を食べる。
グラス一杯の900円の密造酒をありがたがって飲む。


男とはじめて飲むときは沖縄料理が無難だって、誰かが言っていたから。
でも男はゴーヤが嫌いだと言った。



下心を隠そうともしないその男は、私を合コンばかりしていると決めつけて、いい男は捕まりますか、とばかり聞く。
A子の乳をちらちらと見て、終始にやけながら。
どうせやるつもりで誘ったんだろう、そう言いたげに。


女の性欲の発生と解消について、男に言ってもきっと伝わらない。
それはきっと春の綿抜きのように、おばあちゃんがきっと誰も知らない間に済ませている類いのものだから。



沖縄料理を早めに切り上げて、A子は男と共に久我山の家に帰る。
ちらかってるけど清潔だと言っていたその部屋は、自分で帰ってみるとひどくみすぼらしくて、とても悲しい気分になった。
金曜の夜には、椅子にかけられたクリーニング待ちのスカートが地層になる。
ころころを毎日かけているはずの部屋は、知らぬ間に髪の毛とほこりに満たされている。
でもそんな事どうでもいいように、男はA子の乳をしゃぶり続ける。


翌日の乳がん検診は、乳首がいたくて検診どころではなかった。



A子は9月末で北九州に異動となる事を親会社から来た専務から聞かされていた。
昔知り合った北九州に住んでいた男にメールで話を振るが、返事はない。


「9月末に北九州に行く事になりました。9月はまだ暑いですか?
どこか素敵な場所はありますか?インドフェスタは必ず一緒に行きましょう。」


A子は既に知っていた。小倉の有名なお菓子屋さんも、信じられない値段のするセレクトショップも、北九州から大分、宮崎を通って鹿児島まで続く長い国道10号線のことも。
何を言われても気の利いた返信したく準備していたのに。準備していたのに。もう知識はいらない。必要なのはいかれたBaby。


送ったメールの何がいけないって言うんだろう。それはきっと恐らくA子の生まれもって持った不機嫌な顔と、ごまかしようのない幼児体型のせい。




孤独とは、誰とでも会えるのに、誰とも会えない距離の事をいうんだなぁと、何となく思った。
男のマンションで、持ち手が壊れたキャリーバッグを前に、途方に暮れながら。



「キャリーバッグって、どこに売っているんだろう?」


 

会社員になりたい人へ捧ぐ模範解答

■ 自分自身を当社製品に例え、その理由を含め、熱く語ってください。 (200文字以内)

「チーズのような女だ」と言われた事があります。とは言っても臭いがきついとかではなく、ダンスのスタイルの事です。私は大学の強豪社交ダンスサークルで強化部長を務めていましたが、私のダンスはアクが強く、大会で優勝した事もありません。しかし私のダンスは誰よりも見る人を夢中にさせ、後輩は満場一致で私を強化部長に指名してくれました。私は今後、誰にとってもナンバー1なチーズとして生きていきたいと考えます。


■ なぜあなたは会社員になりたい(なる)のですか。 (400文字以内)

私が生まれ育った日本人の生活を変えたいと思うからです。上述の様に私はプロとしてダンスで生きていきたいと考えるほどに打ち込みました。しかし今、就職活動で社会人の先輩のお話を聞く中で、私も自分の思いだけに生きるのではなく、社会の中で自己を表現していきたいと強く考えるようになりました。その中でも私は生活に根付いた企業で、両親に誇れる仕事をしたいと考えています。私の母は料理が好きでよく自分流にアレンジした名前もない料理を作っていました。私もその影響か「今日は何を作ろうか」とワクワクしながら新たなアレンジを考えては試しています。最近はビーフシチューに大根を入れて大絶賛を受け、とてもうれしかったことがありました。食品というフィールドで社会に不可欠な物を提供する御社で経験を積むことは、身近なところに人の数だけ新たな発見や発想があり、とても面白いものだと感じています。



大喜利ポエム#014「宅配・ゴマ・内線」

私たちが家庭内別居するようになって、2ヶ月。

特別な理由はない。結婚して3年経ち、熱情のままに求め合う時間は過ぎた。お互いが別の人生の可能性があったことを感じていた。両親が子供を待望していたのに、ちっとも妊娠しなかったこともある。だって生殖行動としてのセックスは、とても尊大で、退屈なものだったから。

元々すれ違いがちな生活だったから、明示的に離別する事に戸惑いはなかった。私は思う、特別な理由がないことこそ、致命的だったんだと。


23時過ぎ、ドアを開ける音がした。帰ってきた、そう思って私はぎゅうと布団をたぐり寄せる。こんな生活になって以来私は、夫が帰ってくる度、ひどく不安な気持ちになる。

すぐに鳴り始めるリビングからの内線を、仕方なく取る。今日あった夫の退屈なシーン。部長が嫁を生協の宅配員に寝とられ入院したこと、エレベーターで居合わせた派遣さんがやたら巨乳で一同目が釘付けになったこと。今日の和幸のチキンカツ弁当は衣がカリカリで昨日のよりもよかったこと。

くだらない。そんな夫の変に女性的なおしゃべりも私は好きになれなかった。ネクタイを外す、ネクタイとワイシャツと擦れる音が受話器と扉ごしのリビング、両方から聞こえる。私はもう寝ると言い、電話を切った。


満ち足りない夫はすぐに私の部屋をノックする。いつもそうだ、酒を飲んだ時だけ甘えたがる。何も変わってない、はじめて会った時から、ずっと。私は絶望的な気持ちになる。


「明日土曜だしさ、どこか一緒に行こうよ。動物園とかさ、明日天気もいいからきっと楽しいよ。なあ、行こうよ。」

どうせ明日には、なんで休日にこんな陰鬱な女と出掛けなきゃいけないのか、なんて約束したこと後悔するくせに。会社に行って二度と帰ってこなければいいのよ。そう思ったが、黙っていた。


「今日は尚子にどうしても見せたいものがあるんだ。それはもう、ここにある。開けてくれ。頼むよ。」

私は答えない。もうあなたの顔も見たくないの。自分の唾を飲み込む音が大きく聞こえた。


夫の口調が変わる。

「じゃあ言っちゃうよ、あれ。言っちゃうよ。いいのかな?そうすれば君は、扉を開けるしかないだろう?いいから早く開けなさい。」


それだけは、ねえ、言わないで。お願いだから。
そう言おうとした瞬間にはもう、彼は冷酷にもそれを口にしていた。



「開け、ゴマ」


彼はゆっくりと、そう言い放った。私の血を流れるアラビアン魂が一斉に呼応し、電流のように私を貫く。私は静かに、夢見心地で扉を開けた。そこには、額に肉と書かれ、吉野家のビニール袋を提げた夫が、サディステックににやけ、私を見下ろしていた。


「やっと開けてくれたな。ほうら、似合ってるだろ?キン肉マンだぞーう。」

私ははっと我にかえり、夫を廊下に突き飛ばして扉にカギをかけた。夫は腰を強く打ち、ゾンビのようにうめいていたが、やがてそのままいびきをたてて眠りだした。

てゆうか、なぜキン肉マン?思い出し笑いで、私はその日結局一睡もできなかった。


(了)



※ 山田田町先生の次回作「哀しみのバルス」にもご期待下さい。

大喜利ポエム#012「ドラマ・号泣・デトックス」

ヒトの気分や伝えたい事がフキダシになって浮かぶようになったのは戦前の頃だって、おじいちゃんが教えてくれた。白人兵を見て戦闘力がいくつだとか、今まで何人を殺してきたとか、分かったらしい。おじいちゃんは酔っ払う度に言ってた。フキダシからはそいつが人殺しするシーンも見れて、白人のやり口は本当にキチガイじみておぞましいと思ったもんだって。

戦争が終わったらフキダシの使い道がなくなったので、モノからもフキダシが出るようになった。お店の棚の食べ物が、「私おいしいよ」とか「オレもうすぐ腐るから、オバチャンにそう言ってみな。きっとまけてくれるよ」等としゃべるようになった。我輩はカレーパンである。名前も既にある。カレーパンだ。みんなの話によるとあまりうまくないらしいよ、ってね。

今座ってる喫茶店のこの席で、3日前にW不倫をこじらせたカップルの修羅場があったとか、そんなフキダシで出るようになったのもその頃。ありとあらゆる風景にガッテン説明がつくようになって、テレビや街角、あらゆる場所のあらゆる時間、ヒトがどう思ってタイムラインを過ごしてたかなんてのが普通に流れてたって。

お父さんの時代にはそーゆーのをひとくくりに拡張現実とか非同期コミュニケーションとか呼んでた。デトックス、なんて言って骨を全部抜き取って「体をドロドロの液体にしてとろけて自分を再構築☆(笑)」なんて事を真顔でみんながやってたのもその頃。最後固体に戻る時に小骨が戻らなくなってみんな困ってたけど。素直に温泉でも行って温野菜的なのを食って喜んでりゃいいのにね。



で、僕の時代には、もうそんなの、何もない。

ヒトが考えることなんて顔見てりゃ分かる。彼女に説教してる時の僕は「あーこいつともそろそろ潮時かな」って顔してるだろし、あげくに号泣でもされたらもう終わりなんだなぁ、コイツとも早かったなぁってな具合。会社の会議でペチャクチャしゃべてるオッサンは、表情だけでなく脳みそも空っぽで、何もない。まだしばらく戦争はなさそうだけど、ケンカ相手に勝てるか負けるかなんて直感で分かるし、実際の所それは戦闘力なんて得体の知れないない数字よりもよっぽど有益だ。食べ物も見てりゃ大体おいしそうかまずそうかなんて分かるし、コンビニには商品の下に値段まで書いてる明朗会計。どの喫茶店でどんなフリフラレが展開されてたかなんて商店街でたむろするおばちゃんの話を盗み聞きしてりゃすぐ分かる。

だからそんなご先祖様的な風習なんてすっかり廃れてしまった。ケータイもカメラも、もう僕の周りはほとんど持ってない。5年ほど前から東京ではそんな人が増えてきたけど、最近では田舎のほうでもあまり見ないようになった。


今日も駅前の雑踏からは何も見えない。でも、昔の映画を観て憧れたドラマのような世界がそこにはあるんだ。僕たちは今最高にクールでファンタスティックな時代を生きている。


大喜利ポエム#011「自己PR・三輪車・珊瑚礁」

はじめまして、人事部の村上と申します。本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、自己PRをお願いできますか。

「ふと、私は自分が宮崎にいることに気付きました。2歳と6ヶ月が過ぎた頃だったと思います。どちらかといえば気難しいタイプだった私はその日もひとり車で夜の高千穂に向かい車を走らせていました。恐らく170キロは出ていたと思います。友人と出かける事はほとんどありません。そのころの私はいつも、今、このまま消えてしまいたいと思っていました。常にどこか遠くへ逃げ出したいとも思っていました。」

2歳で車に乗っていたのですか?

「ええ、正確にいえば三輪車です。私は日産のスポーツカー愛好家でした。私が愛するスポーツカーに、あと15年と6ヶ月も乗れないと言うことを聞かされた時は目の前が真っ暗になりました。古くからの悪友に相談したところ、三輪車にすればバブーのヤツと一緒だからどうにでもごまかせると言う話でした。私は彼の提案に半信半疑でしたが、女と同じく乗ってしまえばこっちのもんだと思い直し、悪友の言うとおり前輪を1つ取り外すことにしました。改造費だけで500万ほどかかった事を覚えていますし、その頃の私には大きな出費でした。それでも私はスポーツカーに乗る必要がありました。私にとって唯一の輝ける時だったからです。」


わかりました。弊社を志望した理由を教えてください。

「虫の知らせ、とでもいいましょうか。体の異変に気付いたのは2ヶ月ほど前のことになります。私は下腹部に違和感を感じました。違和感はやがて痛みとして発現し、下腹部から上がって腰へ、腰から背中へと生き物のように動き回りました。もちろん、病院にも行きました。検査と称して屈辱的な体勢をとらされ、私は内臓に至るまで裸にされました。血液検査を繰り返し、私の腕は穴だらけになりました。しかし、原因は最後までわかりませんでした。自暴自棄になった医者は私の体にメスを入れることを独裁的に決定しました。私の親が猛反対したのも当然だったと思います。砂漠に落とした一つの指輪を探すようなものですから。しかも、指輪があるという事すら分からないのですよ!」

「しかし医者は私を引き裂きました。そして2時間の後、下腹部に眠る異物を発見し、摘出しました。医者はようやく意識がはっきりしだした私に一つの輝くものを見せました。それは珊瑚のかけらだったのです。」


珊瑚ですか。

「そうです。その時私はある風景を思い出しました。あの夜、高千穂で起こったことです。ハンドルを切りそこね、電柱が目前に迫っていました。先ほど私はいつ死んでもいいといいました。しかし死と向かい合ったとき、私は初めて死にたくないと思いました、しかし気付くには遅すぎたのです。」

「目の前が真っ白になったその時、私は一面の珊瑚礁にかこまれていました。それはとても不思議な光景でした。私のスポーツカーは蒼天のような海を自在に泳ぎ回っていました。私は死にたくなかったのにな、と呆然としていた事を覚えています。」

「気付いた時、私は自宅前で今日4度目の縦列駐車に失敗し、イライラとしていました。ラジオからは松田聖子青い珊瑚礁が流れていました。同じような臨死体験をしたからこそ、彼女にしか歌えない歌があるのだと思います。」


最後に何かご質問などありましたらお願いいたします。

「メスを入れられたその日から、あれだけ私を苦しめた痛みはすっかりと治まりました。こういった場で聞くことではないのかも知れませんが、私の体に住み、私を苦しめ続けた物は一体なんだったのでしょうか。」


たぶんそれ普通に珊瑚だったと思いますよ。本日はありがとうございました。

「ありがとうございました。余談ですが、珊瑚礁にKYとは書かれていませんでした。宮崎、テレ朝映らないですし。」


大喜利ポエム#010「シドニー・ポカリスエット・SM嬢」

20人前のカリフォルニアロールが届けられたとき、私は歴史の非連続性について考えていた。明日が早く来る事を願ってベッドに入った夜8時。隣の部屋のカップルの迫り来る欲望がうるさかった。

うどんで肥え太ったような燃費の悪い安上がりな豚のような寿司屋は、私の顔を見下ろして、キョトンとした顔をした。四万十川徹夫と彼は自己紹介した。よんちゃんと呼んで下さい、と。


よんちゃん。



(第一の非連続性)歴史を話すときに、消去しえない条件としての非連続性。つまり、歴史家は特定の「時代」なり「領域」を他の部分から切り出すことによってその作業を始める。

「ええ、またやってしまいました。瞬間移動と言うやつです。生まれは日本のよんちゃんです、四国に生まれまして名前の通りだいたい四万十川の水とかうどんとか、みかんとか、まぁそんな感じの物を食い散らかして今まで生きておりましたが、気付いた時よんちゃんはオーストラリアにおりました。まぁ四国もオーストラリアも形は大して変わりません、大きさが違うだけです。なんてったって、400倍も違います。人もうどんもカンガルーも月の大きさも、400倍くらいです。ハンバーガーとか、食べるのが本当に大変なんです。」

「繰り返しますが、生まれは日本のよんちゃんです。でも今はシドニーで寿司屋を経営しているよんちゃんです。まぁ順調とはいきませんが、この不景気にもなんとかかんとかやっております。よんちゃん、醜いですよね?うどんで太るというのはこういうことなんです、炭水化物で維持する生命は肌に来ます。醜くなってしまうんです。でもよんちゃんはそんなよんちゃんが好きです。」



(第二の非連続性)その結果、歴史とは時代区分や領域確定をともなったものとして記述される。

「よんちゃんが能力を手に入れたのはその時です。強い衝撃を与えると飛ぶんです。なんというか、体中から何かがこみ上げるような感じがします。」

「誰がカリフォルニアロールを20人前も頼むのかはですね、少し言いづらいのですが、所謂、女体盛りという奴です。グラビアアイドルの撮影に使うらしく、私は大忙しで作っておりました。AV未満とか着エロとかって言うんですかね、結構そういった注文が来るんです。きょうび寿司を食いたいという白人もそうそういませんから。シドニーカリフォルニアロールですって。笑っちゃいますよね。四国では寿司は食べるものでした、しかしシドニーではそうではありません。」



(第三の非連続性)しかしそれは時代と時代、領域と領域を区切る空白の線のようなものではなく、ときどきの歴史記述を可能にする条件なのである。非連続性とはもはやふたつの実定的な形式を唯一の同じ空白で隔てているような、あの純粋で単調な空虚ではない。

「バタ臭い仕事も結構あるもんですね。でもあなた、どう見てもグラビアアイドルには見えません。だからよんちゃん分かりました。カリフォルニアロール届ける途中に瞬間移動したんだな、と。」

「ええ、私、SM嬢の知り合いがおりましてね、そこに寄っちゃったんですが。よんちゃんの経験から申しますと、よんちゃん、率直に言ってMなんです。あれはねえ、飛べますね。ポカリスエット等があるともっといいんですが。」


ポカリスエット


「今でもたまに瞬間移動する時に使いますよ。衝撃は大きいほどいいんです。菊の門にペットボトルを突っ込んでですね、ドクドクと流し込むんです。流し込まれながら尻を叩かれる。それはもう、すごいですよ。」

「よんちゃんが渡ってきたのは寒くて暗い所です。よんちゃんは、移動中はたいそう孤独な思いをします。瞬間移動まではとてもいいのですが。」




私はシドニー在住、グラドル向け寿司屋のよんちゃんにペットボトルを突っ込み、SM嬢よろしく貧相な尻を叩き続ける。私が叩くたび、よんちゃんはごめんなさい、ごめんなさいと低い声でうめく。近所中によんちゃんの声が響きわたり、隣の部屋の男女は急に静かになった。炭水化物で作られた張りのない尻肉は赤くはれ上がった。もう叩くことにいい加減に飽き、けだるげによんちゃんをののしり始めた頃合、よんちゃんは絶頂に至るその瞬間に瞬間移動、シドニー直通特急で撮影中のグラドルに顔射。限りなくノンフィクションなイメージビデオの売り上げもうなぎのぼり。



よんちゃんがいなくなった後、私は間違い電話を待つ。鳴り始めた電話のベルを2回待ち、私は受話器をゆっくりと上げた。


「イシイさん?」電話は話しはじめた。


(了)



※一部についてhttp://members.at.infoseek.co.jp/studia_humanitatis/archeologie2-1.htmlより引用。