大喜利ポエム#008「フラフープ・甘酒・影」

目覚めたら休日で、天気もよかったので私は散歩に行こうと思った。

とても風が強い日だった。マンションの吹き抜けは飛んできたゴミが散乱しており、駅前の商店街通りには自転車が倒れていた。散歩する犬は地面に這いつくばって、そのまま飛んで行ってしまう事を拒否していた。


春はまだ遠いのに2月の空は真っ青で、風の音だけがする。認知症のはじまった春風が桜の花びらを散らそうとしているようだと私は思った。


近所の神社に行った。神社の境内は小さなグラウンドくらい広く、子供たちがフリスビーやニンテンドーDSで、楽しそうに遊んでいた。7,8人で大縄跳びをしている集団が「42、43、44、」。数字を数えるごとに子供たちの声は大きくなっていった。3の倍数で変な声を出していた子が引っかかって、新記録は69で止まった。誰もがもう限界だったのだろう。息をきらして土をのたうちまわり、ケタケタと笑い転げていた。


私は子供の頃を思い出す。運動が苦手な子供だった。体育の時間になる度にクラスメイトは私をからかった。学校がまだ牧歌的な時代だったから、先生まで私をにやにやした顔でちゃかすので、私は先生が大嫌いになった。でも、先生も友達ももう、私をからかったことも、きっと私のことも、覚えていない。でも私は、覚えている。



1ヶ月前から小説を書きはじめた。何の取り柄もなかった私がはじめて何かに取り組もうと思ったのは、日々の憂鬱が私だけが感じているわけじゃないはずだと信じたいからだと思う。3月が締め切りの新人賞に応募しようと勤め先の友人に相談したら、彼は「フォンダンショコラ・痔漏・久宝留理子」と言うテーマで書いたらどうか、と私に提案した。私は悪くないテーマだと思って取り組むことにしたけれど、なかなか書けずにいる。中でも特に難しいテーマであるフォンダンショコラにどう物語性を持たせるか、私は鳥居の下の階段に座ってノート片手に思案していた。


「おねえちゃん!おねえちゃん!」と男の子に呼びかけられている事に気づいた時にはもう、その子は私の事をつんぼだと思って引き返そうと思っていた頃だったと思う。男の子は私がぼんやりしているのを見て、一緒に遊んだらどうかと言った。子供たちは、私に対し、遊ぶことを、命令した。こんな天気のいい日に一人でぼんやりする私をかわいそうに思ったのだろう。憐れみとは常に権力であり暴力であると思う。


強要されて、私はおずおずと大縄跳びの輪に入った。1回、2回、あっ。いつも私が引っかかってカウントが止まる。大縄跳びは4回以上続かなくなった。さっきまであれだけ気持ち良さそうに空を待っていた縄は、今はもう死んだようにぎこちなく動いたり止まったりを繰り返すだけだった。あの頃と一緒だ。私はちっともうまく飛べず、悲しい気持ちになってメソメソと泣き出した。

女の子があわてて、なわとびは飽きたから別のことしよって、その場を取り繕うように言った。優しい彼女はリーダー格なのだろう、男の子に物置から何か取ってくるように命令した。男の子は面倒そうに階段を駆け上がっていった。


男の子が取ってきたのは、フラフープだった。


フラフープは1周も回らなかった。女の子の優しさに答えられない私は本当にみじめだった。本来空中にあるはずのフラフープは私の領域を円で囲い、周囲と私の世界を隔てるものとなった。聖域の中で私はしゃがみこみ涙をとめどなく流した。私の世界のアスファルトは色を変え、それはやがて境界線であるフラフープに届いた。

あの頃と同じ、真っ赤な目で子供たちを見つめたら、あの頃の彼らが、私をからかうようにへらへらと私を見下ろしていた。なんで私、こんな天気のいい日に泣いてるんだろう。何もかも放り出して逃げてしまいたいと私は思った。



長い髪で目まで隠れた男の子が私にまっすぐ近づいてきた。男の子は他の子と違って無表情で、おねえちゃん、ひっかかってるよ、って私に言った。なに?って思ったけど声に出ないまま、男の子は私から何かをひきはがした。ビリビリと破ける音がして、私は背中に痛みを感じた。私は半狂乱で男の子をひっぱたいた。女の子が手に持っていた縄跳びを落とし、泣き出した。


ひっぱたかれた男の子はたじろぐもことなく、無言で私にフラフープを渡した。戸惑う私に男の子は「おねえちゃん、やってみて」と言った。どうして彼がそんな要求をするのかわからなかったが、その子をひっぱたいた私は断ることもできなかった。もう一度彼らがみじめな顔で私を眺めてくれるのなら、今この状況よりもどれだけ幸福なことだろう。


フラフープは回った。平静を取り戻した私は、体が軽くなっていることに気付いた。私のフラフープは空中を舞い続けた。フラフープの回転は私をこのまま空まで飛ばしてくれそうな気がした。子供は歓声をあげ、私を迎えてくれた。私は満ち足りた気持ちになり、子供の頃の空白を取り戻すように、夢中で子供たちと遊んだ。


子供たちと手をつないでの帰り道、近所のおじさんが甘酒を振舞っていた。私は気が大きくなって、子供は飲んじゃだめなのよっていいながら甘酒を受け取り、それを飲んだ。普段お酒を全く飲まない私だけど、甘酒は私を優しく受け入れてくれた。子供は憧れの目で私を見ていた。私ははじめて大人になれたような気がした。



子供たちと別れ、家に帰る途中気づいた。夕日が照らすはずの影が、私にはなかった。男の子に引き剥がされたまま、置き忘れてきたのだ。

あわてて取りに帰ったとき、巫女さんが落ち葉と一緒に私の影を焼いていた。もう影は跡形もなくなり、焼かれた後の煙だけがそこに立ち上るだけだった。私は呆然とそこに立ち尽くした。影は、きっと、私の大部分だったから。


でも、もう悲しくはなれなかった。メソメソとは泣けず、涙がただ流れるだけだった。